医療法人東京堂港町歯科クリニックの歴史
港町歯科クリニックは、医療法人東京堂の診療所であり、理事長は、佐藤暢也である。
東京堂は、秋田県南部の田舎の町(現横手市雄物川町)から始まった。1951年(昭和26年)のことである。
かくして東京堂佐藤歯科医院が誕生した。その結果、東京堂は、屋号(会社名)として地域で知り渡るようになった。のちの1960年(昭和35年)に、隣町(現横手市大森町)に移転。当時、歯科医師は著しく不足しており、患者は、待合室からあふれ出てしまうほどの時代であった。達夫自身が、徹夜して、歯科技工の仕事もしていた。
二代目となる暢也は、その父の後ろ姿を見て、歯科に志を立て、北海道大学歯学部に入学し、1985年(昭和60年)に卒業。その後、現地(秋田市土崎港)で、1988年(昭和63年)6月に港町歯科クリニックを開業した。1998年(平成10年)に達夫は他界し、1999年(平成11年)5月に医療法人を創設する際、その由緒ある屋号を引き継ぎ、医療法人の名称を東京堂とした。
2003年(平成15年)に大森町の佐藤歯科医院は、およそ半世紀以上及ぶ地域医療への貢献を終え、住民に惜しまれつつ閉院となった。医療活動の軸足を秋田市に移し、2018年(平成30年)、東京堂は、開設以来67年を迎えた。さらに、港町歯科クリニックは、順調に成長し、当地で開業後30周年を迎えている。
この間、時代は、大きく変化し、高度成長時代・バブルの時代を経て、歯科界は、歯科医師過剰時代と言われるようになった。それは、とりもなおさず、患者さん主役の医療の時代の到来とも言えるでしょう。こうした時代の変化に乗り遅れることなく、診療室の整備や歯科医師とスタッフの研修を実践し、機関紙や地域のコミュニティ雑誌等のメディアを通じて皆様への情報提供をしてきた。2004年(平成16年)よりホームページを開設し、インターネットを通じた情報発信も行っている。
また、港町歯科クリニックは、1996年(平成8年)に規模を拡張すべく移転した。現在、ユニット11台を有し、余裕の診療スペースのほかに、予防歯科と診療内容の説明を重視し、そのための各種エリアを配備した診療所とした。多くの勤務の先生と共に、総合歯科臨床を目指し、理事長は、歯を守る根管治療を一つの専門分野(日本歯内療法学会専門医・指導医)として日々の臨床に取り組んでいる。そうして歯を守る治療を行う一方で、歯のなくなった部分には、さらなる歯の喪失を防ぐため、インプラント学会専門医を取得し、お口の機能回復のために積極的にインプラント治療を行っている。
沿革
昭和26年10月 | 東京堂佐藤歯科医院 現在の横手市雄物川町にて創業 |
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昭和35年10月 | 東京堂佐藤歯科医院 現在の横手市大森町に移転 |
昭和63年6月 | 港町歯科クリニック 秋田市土崎港にて開業 |
平成8年7月 | 港町歯科クリニック 現在地に移転 |
平成11年5月 | 医療法人東京堂を創設 |
初代 東京堂 院長
佐藤達夫
昭和3年生まれ
昭和25年 日本大学歯学部卒業(27回卒)
平成10年没
第二代 東京堂 理事長
佐藤暢也
昭和34生まれ
昭和60年 北海道大学歯学部卒(13期生)
昭和63年 港町歯科クリニック開業
平成11年 医療法人東京堂開設