お祭りのない夏、それでも「東京オリンピック」
いよいよ夏も盛りを迎え、暑さ対策に取り組む時季となりました。
竿燈祭りや港祭り、各地で開催されるはずのお祭りは、軒並み中止となっています。
それも、この新型コロナ感染症の脅威を考えれば、仕方のないこと。それでも、東京オリンピックは開催されるようです(6月の時点)。
コロナ禍ではありますが、どうせやるのなら!このような感染症と共存するスポーツ大会の新しい形として、いまだかつてないスタイル(様々な感染予防対策を実行)で、未来の規範となる大会となることを、私は期待しております。
さて、それぞれ皆様にとって過去に開催されたオリンピックで忘れられない思い出のシーンというのがいくつかあることと思います。私にとってどんなシーンがあるか振り返ってみました。
さすがに、ローマ(1969年)は、赤ちゃんだったので無理。
東京五輪の年は、1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開通したので、父母に連れられ夢の「超特急(ひかり)」に乗った記憶があります。
メキシコ(1968年)は、ハインズ選手の100m、人類史上初の9秒台(9秒95)で金メダルを獲得した瞬間は、感動的でした。また、ビーモン選手の走り幅跳び8m90㎝というのは驚きでした。
1972年のミュンヘンは、東京「銅」、メキシコ「銀」、だった男子バレーが悲願の金メダルを獲得。準決勝のソ連戦の大逆転劇がクライマックスでした。
1976年は女子体操の「白い妖精」コマネチの10点満点連発に目が点々…
1980年は、モスクワ大会ボイコット。その会見で無念を訴えた柔道・山下泰裕選手は、次のロサンゼルス大会決勝でラシュワン選手を破って金メダル。ケガをして足を引きずる山下選手の足を決して狙わず、正面から取り組んだラシュワン選手の心意気にも感動しました。
1988年ソウルは、ちょっと分が悪いなあ、と誰もが思っていた鈴木大地選手が、意表を突いた長時間のバサロキックで水中から水面に出てきた瞬間、思わず跳ね上がって応援したものでした。
1992年バルセロナは、古賀稔彦選手が左ヒザ負傷にもかかわらず不屈の闘志で金メダル。万感胸に迫る感動的な戦いでした(合掌)。
そして、岩崎恭子選手の競泳女子200m平泳ぎ、競泳の五輪史上最年少金メダル。
実況席の高橋繁浩氏(元オリンピック選手)による、ゴールした瞬間の「やったあ〜!やっ、たぁああああああ!」という喜びの絶叫が耳に残っています。
ここ辺りまでが、年配者向けのレポートになります(^o^)。
当クリニックのスタッフで、1993年以降に誕生日を迎えた若者(いわゆるZ世代)たちには、ほぼ受けない昔話ということになるでしょう。今回は紙面の都合でここまでとします。
東京五輪、やるなら日本選手を全力で応援だあ〜!
猛暑の折ですが、診療室内は、涼しげな環境をこしらえております。診療やお口のクリーニングに、スタッフ一同、皆様のご来院を心よりお待ちいたしております。