目の前で で・あった人
であったとき、思う。
「この人は、どういう歴史や物語があるのだろうか?」と。自分と同じ歯科業界の人であれば、成人して以降の状況は、さまざまな形があるにせよ、ある程度の推測はつく。
例えば、秋田から、さっき搭乗前にタバコを思いっきり吸ってきたとおぼしき飛行機の隣の席にすわっている人、羽田からモノレールの同じ車両に乗って、「皇居に行きたいがどこで降りたらいいか」と聞いてきた外国人。真夜中の川反で千秋麺を食べに来たグデングデンの酔っ払い…。という人々は、どうでもいいかな。
気になるのは、自分が関わるようになった人との出会いである。
ひとつは、初めてお越しになった患者さんと対面したとき。もうひとつは、取引する企業の人と初対面の瞬間。
どうして、この人は、ここにいるのだろう?と思うことがある。
そして、この出会いは、どう転ぶのか?吉か凶か…。
小林正観氏の本によると、次のように書いてある。「有名人や成功者に出会ったから運がよくなるわけでもなく、通りすがりの名も知らぬ老人に出会ったことが、あとで考えると幸運の始まりだった、ということもある。」
「運は人が運んでくる。」
「幸福だと思ったことが災(わざわ)いだったり、災いだと思ったことが幸福だったりする。人生の幸不幸は予測ができない。だからこそ、様々なできごとに、一喜一憂してはいけないということ。」
さらに、哲学者であり教育者である森信三先生のお言葉に、次のようにある。
「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず一瞬遅すぎない時に」
さて、会う、逢う、AU の違いは何か?(AU は、エリアなかいちにありますが…)
知り合いや関係者、ほどほどの友だちと「会う」。
すごく大切な人や親友、または、彼女やカレと「逢う」。
だが、嫌なヤツと「遭う」は …災難。
平成の夏と秋」は、もう来ないのですが、今年も、多くの人との出会いがありました。
それが、年を越して、平成最後の良き出逢いであったと言えるようになったら嬉しいですね。
一足早く、メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。
2019、良いお年をお迎えください。