秋田のお宝「さとやま」
ある証券アナリストのコラムを見つけました。『人口減少率が全国一の秋田県に行き、秋田市内を散策してみましたが、…(中略)…強い疲弊感を感じずにはいられませんでした。…地方都市で感じる「時間がゆっくり過ぎていく」というのではなく、時間が動かない、空気が淀んでいる、と感じてしまったのです。約40年前に最盛期を誇った老舗百貨店の現状を見て、栄枯盛衰のはかなさを実感しました。』
秋田に来て何も知らないヨソ者は、こんな風に感じるのかも知れませんが、「ほっといてくれ」と思うのは、私だけでしょうか。
そこで、ふと、わが家の娘に教えられた「里山資本主義」を思い出しました。これは、藻谷浩介氏が唱えた「マネー資本主義」の対義語としての造語です。かいつまんで言うと、お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークのこと。日本社会が抱える地域の過疎化、少子化と急激な高齢化という問題を克服する可能性も秘めているというのです。「さとやま」とは、人里近くにある、生活に結びついた山や森林のことで、山林に隣接する農地と集落を含めていうこともあります。確かに、秋田は、マネー経済は疲弊しているかも知れませんが、将来、魅力的な資本である里山は豊富にあることは、間違いないでしょう。
具体例として、あげられるのがこちら。
岡山県の建材メーカーが、工場で出る木くずで自家発電を始めたところ、年間1億の電気代がゼロになった。しかも余った電気を売電して、毎月400万円も定期収入が入るようになった。それまで産業廃棄物として、お金を払って引き取ってもらっていた木くずが、すごいお金に化けた。さらに、木くずから燃料ペレットも作って、それが地域の小学校や農家のハウス栽培に使われている。すなわち、それまで石油やガスの代金として、県外や国外に出ていっていたお金が、地域で回るようになった。しかも地元で作ったペレットだから、世界のエネルギー価格の乱高下にも巻き込まれずに済む。はるばる中東から石油を運んでくるのではなく、目の前の木の資源を活かしてエネルギーの一部を自給することが、地域の自立と安定化につながった。
そういう風に見ると、秋田の将来を担う宝物は、豊かな自然の恵みである里山にあるのかも知れません。
いまや、実りの秋。地物の旬の果実や野菜が美味しい時季になりました。
さあ、何でもバリバリ食べられるよう、お口のクリーニングにお越しください。