旅立ち、なう!
◆大阪? 行く
どうするの…?
「大阪に行く!」そんな最終的な会話があって、娘の大阪行きが決まった。どういうわけか予期せぬ展開に驚きでした。幸い関西は放射線の影響もなく、安全なようなので、それは安心。大阪かあ。思えば、18 歳の頃、大阪に住み、京都の予備校に行ったのですが、娘も同じ年齢となって、大阪に住むことになるとは…。
当時は、サザンがデビューして、ピンクレディが人気絶頂の時代でした(たぶん)。古くは「せんきゅ〜うひゃく、ななじゅ〜うねんのこーんに・ち・わ」(三波春夫さん「世界の国からこんにちわ」)の1970年、万国博覧会がありましたね(当時小学生)。
◆寝台特急の旅情
そして、旅立ちの日。
乗り物は、寝台特急「日本海」。午後10 時半に秋田駅を発ち、日本海沿岸を走りおよそ12 時間かけて大阪に到着する。
夜のプラットホームは、どことなく哀愁が漂い旅情を誘う。
しかも、ちらほらと雪が舞ったりして、つい頭の中には「なごり雪」とか「あずさ2号」とか「津軽海峡冬景色」といった歌が駆けめぐるのでした。
入線して来たのは、かのブルートレイン。青色に塗られた四角い顔立ちのレトロな列車にいささか感激でした。ガッタンゴットンと新幹線では聞けないあの線路の音が妙に懐かしい。そして、乗車。あ〜〜行っちゃうんだ、という感慨深さもつかの間、それから実にあっけなく、「それじゃあ」と出発したのでした。
次の日の朝、「敦賀、なう」の写メに一安心。
◆関西の縁
それにしても、大阪かあ。
通学する大学(私大文系)周辺の新しい住まいのすぐ近くに偶然にも親しい歯科医の友人がいるというご縁もあるし、関西には、姪っ子も、叔母さんもいる。学会でお世話になっている先生もいる。兄も大阪の医大卒業であった。私も阪急電鉄の路線はよくわかる。全てがあの大地震の後でパタパタと決まったことで、まるで何かに引き寄せられたようでした。
娘とその母の二人は家捜しや家電と雑貨の手配に奔走し、怒濤の2週間でした。なお、息抜きに道頓堀へ食事に行ってみたら、「グリコ」のネオンは、ライトを消して関西も節電中だったそうです。
ものすごく嬉しかったことは、先の友人の歯科医の先生がご自分と奥様のことを「大阪のおじさん、おばさんのように思っていいですよ。」と言ってくれたこと。メールを読んで思わず泣けました!
見知らぬ地に住むことは心細いのですが、とても心強くなりました。本当にありがたいことです。さらに、家内と娘をお忙しいにもかかわらず、車でいろいろ案内してくれたのです。
持つべきものは良き友だなあ、感謝!感謝!K先生、奥様ありがとう。
◆いつか大阪へ
ちなみに、皆さんご存じですか。大阪府は、日本の中で二番目に面積が小さい都道府県だそうです。意外ですね。(一番小さいのは香川県。大阪府は、海を埋め立てて関西国際空港ができたおかげで一ランクアップした。)
私は今回まだ行っていないので、いつか大阪に粉もん(タコ焼きやお好み焼きなど)食べに行くぞ、と張り切っている今日この頃でした。