思い出〜師匠と弟子〜
皆様は、師匠と弟子っていうのは、どういうものであるとご理解していますか?
師匠という言葉を聞くと、いつも、昔々、総入れ歯治療の大家のM先生との会話を思い出します。
M先生:師匠っていうのは、弟子が決めるもんではないんじゃ。
私 :は?
M先生:弟子が自分の教えを守って、その通りに行っていることを師匠が認めて初めて、「私の師匠は、○○先生」と言っていいのだ。
私 :なるほど! 弟子が勝手に私の師匠は、○○先生というのは間違いなのですね。
M先生:そうじゃ。もっとも弟子になりたいという人がいないと話にならないがな。ワッハッハッ。
そういえば、私の根っこの治療の恩師O先生も、同じようなことを言ってました。 「ものの本に、彼は私のことを師匠だと言ってるようだが、私は認めていない。 私の教えていることを忠実にやっているわけではないのだよ。」 確かに、剣術でいえば(詳しくはわかりませんが)、柳生新陰流をやっている人が、北辰一刀流の先生を私の師匠だと言うのは、おかしいですよね。 免許皆伝というのが必要なわけです。
十数年前、私たち歯科医師の有志で、O先生の純粋な根っこの治療(根管治療=歯内療法)の教えを学ぶために師匠の名前をつけた勉強会をつくりました。 歯を守る最後の砦として、実に難しいけれど、心底重要で、患者さんにとっても利益の高い世界最高レベルの根管治療の修練を積んでいました。 年を重ねたある年次総会でのこと。 私が、教えに基づいた根っこの治療の発表をしました。 そして、何人かの発表者から優秀賞を師匠が選考することになっていました。 私も自分の発表に少なからず自信を持っていました。 しかし、そこで思わぬことが。
O先生:佐藤君は、賞を受賞するのにふさわしくないから、他の人にする。
私 :・・・・・・。
O先生:なぜなら佐藤君は、もう十分に私のやり方を学びきっているのだから。
公に私がO先生を師匠と呼んでも良いと許された瞬間でした。そんな思い出を胸に抱いて、日々、天国の師匠が、ニッコリ笑ってくれる根っこの治療を実践するよう心がけています。