クマのプーさん物語り
ある日、クマのプーさんは、ほかになにもすることがないので、なにかをしようとおもいました。そこで、コブタはなにをしているのかをみてこようとおもって、コブタの家にでかけました。プーがしろい山道をぱたんぱたんとふんで出かけたころにはまだゆきがふっていました。きっとコブタは炉ばたで足のさきをあぶっていることだろうとかんがえながらいったのですが、どうでしょう、コブタの家のげんかんはあけっぱなしになっていて、のぞいても、のぞいてもコブタはいませんでした。
これから下の文章を読む前に、もう一度、上の文章を、ゆっくりと味わいながら読み直してください。できれば、小さな声を出しながら。
さて、これは時代を超えて子供たちに愛されている物語りのひとつである「クマのプーさん」の最初の章の一節である。今回は、こうして始まるトリシャ・グリーンハルらの著書をもとに、港町歯科クリニックの全スタッフ合同の勉強会で行った内容を簡単にご紹介します。
まず、「クマのプーさん」物語りを勉強したわけではありません。皆様は、この物語りの始まりを読んで、どのように感じましたか?私にとって、平面的で静止画だったプーさんは、この物語りの時間の流れとともに、動き出しました。そして、最後に「コブタは、無事なのだろうか?何かあったのだろうか?」と心配になりました。きっと、皆様も、振り返って考えると、さまざまなことを心に思い描いたことでしょう。そして、少しワクワクしませんでしたか。さらに、人は、この先を自分なりに「プーはコブタを探しに出かけるのだろうか?」とか「炉ばたの前にすわってコブタの帰りを待つのだろうか?」とか、解釈をしようとするものです。しかし、プーさんのそれからの物語りを聞いたならば、プーとコブタの状況や気持ちに再び入りこんでしまうのです。このように、私たちに、もたらされるものは、ただ単にプーとコブタについての知識ではなく、物語りの登場人物を通して「生きる体験を感じる」のです。
そこで、私は、スタッフとともに何を学ぼうとしたのでしょうか?実は、私たちのクリニックでは、毎日、こうした物語りに出会っているのです。そう、皆様とのお話し、何げない日常会話、その瞬間が、すべて私たちにとって出会う物語りなのです。それは、私たち医療従事者が、患者さんの体験を共有したり、病に対する共感や理解をする助けとなるのです。さらに、患者さん自身に物語りを語ってもらうこと、それ自体が、治癒を導くために不可欠な治療であると位置づけられます。
だから、私たちは、物語りというものの本質を学ぶ必要があるのです。港町歯科クリニックは、もう10数年になるでしょうか、「カウンセリングの港町歯科クリニック」と評判になるようにしたいと思い、お口の状態の写真をお見せして説明したり、皆様の治療のご希望をうかがったりしながら、丁寧な治療を心がけてきました。しかし、少しだけ何かが足りなかったのです。これから、こうして物語りを学び、さらに充実した「港町歯科クリニック流の歯科医療」の実践に結びつけようと思っているのです。