恩師に捧ぐ
2007年となりました。
新春にもかかわらず、私は、どうしても今回、ここに書き残しておきたいことがあります。それは、昨年の11月のことでした。その人は、何の前ぶれもなく、突然、逝ってしまいました。訃報の一報を受けたとき、その話は現実なのか?にわかに信じがたいことでした。折しも、海外にいたため、日程を切り上げ、あわただしく帰国し、先生の自宅を訪れると、そこには、まぎれもなく、先生のご遺体が横たわていました。これから、今度こそ、高校の同級生たちと皆で、集まって飲もう、と話していた矢先のことでした。そして、手もとには、どういうわけか、ここ10年間も会ってなかったのに、無性に会いたくなって、8月のある日曜日に、これから行っていいかと、平鹿の自宅に電話して、たまたま在宅だったので、うまいぐあいに会えたときの、破顔一笑の先生との記念写真が一枚。
先生は、私の高校3年生のときだけ1年間の担任でした。でも、不思議なことに、3年間、何の教科も習ったことがなかったのです。しかし、私は、恩師と敬愛しておりました。そう思うのは、何故なのだろうか?時に自問していたものです。それは、きっと、人間としてのスケールの大きさやおおらかさといったものに、憧れをいだいていたためだと思うのです。
そして、先生は、私たちに何を遺してくれたのでしょうか?いったい先生の人生は、何のためのものだったのだろうか?と悩んでしまいました。何日も、思いめぐらせました。そうして突き詰めて考えてみると、私たちに教育をしてくれたという無形の財産もありますが、何より、先生の生き方そのものが、私たちに遺してくれた贈りものである。教育者として、たくさんの若者を育ててきたという実績は、無論、すばらしいことですが、それ以上に、先生が私たちの世代の者たちに遺してくれた最大の遺物は何かと言えば、それは他ならぬ先生の勇ましい高尚なる生涯であろう、と思うのです。
先生のご遺体にお会いしたとき、もう、そこに先生は、いませんでした。きっと、先生は、「千の風」となって、いつまでも、あの大きな空を吹きわたって、私たちが必要とするときに、そばにいてくれるのだろう。そして、私の記憶が消え去るまで、私の心にいてもらうんだ、と思っているのです。その思いを、こうして2007年の冒頭に、恩師に捧げたいと思います。