聴診記(院長のひとりごと)

平成の30年間は、これだ!

佐藤 暢也

[2018年7月16日]

 すばらしい ワーイ、エム、シーエッ♪〜♪ワーイ、エム、シーエッ・・・」
39年前、1979年(昭和54年)2月にリリースされ、西城秀樹さんが歌い、手の振り付けが一大ブームを巻き起こし、大ヒット曲となった「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」。
 私は、大阪に住み、予備校に通っていました。友人と一緒に、大学合格祝いに一杯やった店では、一番人気の歌でみんなが踊っていました。それから、北海道に渡ったわけです。あのヒデキが亡くなるなんて、かけらも考えたことがありませんでした。ご冥福をお祈りいたします。

 そして、30年前、1988年は、昭和の終期(昭和63年)でした。当時の首相は、竹下登氏で、リクルート事件が明るみに出た年です。さらに、消費税の法案が成立したのです。この年の6月2日、女性向けグルメ・レジャーなどの情報誌「Hanako」が創刊され、同日、港町歯科クリニックが開院しました。
年が明け昭和64年1月8日から「平成」となりました。当クリニックも平成と共に、これまで30周年歩んできました。
この機会に、各年を代表する出来事は、これだ!をピックアップしたのでご覧ください。

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平成元年  ベルリンの壁崩壊し、冷戦が終結

平成2年  イラク軍がクエート侵攻

平成3年  長崎県・雲仙普賢岳で大火砕流発生

平成4年  力士の貴花田(後の貴乃花)と女優の宮沢りえさんが婚約

平成5年  自民党下野、非自民の細川内閣成立

平成6年  自社さ連立の村山内閣成立

平成7年  阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件

平成8年  俳優の渥美清さんがご逝去

平成9年  秋田新幹線開業

平成10年  長野五輪ジャンプ団体悲願の金メダル

平成11年  「だんご3兄弟」がCDシングル歴代新記録の大ヒット

平成12年  シドニー五輪で高橋尚子選手が女子マラソンで初の金メダル

平成13年  アメリカ同時多発テロ事件発生

平成14年  初の日朝首脳会談、拉致被害者5名が日本へ帰国

平成15年  SARSがアジアを中心に世界的に大流行

平成16年  スペインのマドリードで列車爆破テロ事件

平成17年  JR福知山線脱線事故、死者107人、負傷者555人

平成18年  夏の高校野球、決勝戦が引き分け再試合、ハンカチ王子人気

平成19年  日本郵政公社が解散。日本郵政株式会社が発足

平成20年  リーマンショック、世界的な金融危機へ

平成21年  第2回ワールド・ベースボール・クラシックで日本2大会連続優勝

平成22年  尖閣諸島中国漁船衝突事件発生

平成23年  東日本大震災が発生

平成24年  東京スカイツリー開業

平成25年  「和食 日本人の伝統的な食文化」が無形文化遺産に登録される

平成26年  STAP細胞のねつ造問題発覚

平成27年  読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博が発覚

平成28年  軽井沢スキーバス転落事故が発生

平成29年  神奈川県座間市のアパートの一室で9人の遺体、27歳の男性を逮捕

平成30年  ピョンチャン五輪、羽生弦選手金メダル連覇

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 あ〜、そういえばそんなことがあったなあ、ってことで、いかがでしょうか。
 さて、2019年の5月1日から、新元号になります。
それは、「修文」か「正化」か?はたまた、M,T,S,Hのローマ字表記を外して、ア・カ・ナ・ヤ・ラ・ワ行か?「安久」か?
248番目の元号が、今から楽しみです!

平成の大改修 その2(ホームページ編)

佐藤 暢也

[2018年6月20日]

 先月号では、診療所の大改修の計画について、お知らせいたしました。
 今度は、ホームページの大改修についてのお話です。

 まずは、かれこれ14年前のこと。そのころは、パソコンの普及率が劇的に上昇し、約65%まで上昇してきたのでした。
 そこで、港町歯科クリニックとして、2004年にホームページを製作公開しました。それでも、当時、インターネットの利用率は、たかだか43%くらいにとどまっていました。その後、PCの普及率は頭打ちとなったものの、最近、ニールセン・デジタルがまとめた「デジタルトレンド2017上半期」によると、次のような報告があります。
 スマートフォン利用者の増加は鈍化したものの、昨年から+11%と2桁成長を維持。
 50代以下は、スマホからインターネットを利用する人が最も多い。
また、若い世代ほどスマホ利用者が多い。なんと、10代・20代は、80%超!
 60代以上では、PCからのインターネット利用者割合が24%となっているものの、スマートフォンからのインターネット利用者も約20%となっている。
すなわち、時代は、「PCからスマホ」にシフトしてきている。実数では、スマホ利用者が、6,000万人を突破したという。

 そこで、港町歯科クリニックでは、ウエッブサイトを大改修し、新たにスマホサイトも新設することとなりました。
 これで、PCサイト、facebookに続き、3つめの情報発信メディアとなります。
この機会に、新規の追加で歯内療法(根っこの治療)の専門サイトも製作しました。
 6月には、心機一転、公開予定です。
ぜひ、皆様ご覧ください。

 ちなみに、港町歯科クリニックの誕生日は、6月2日。今年で30歳となりました。 何とこの日は、ドラえもんのひみつ道具「日本標準カレンダー」では、「ぐうたら感謝の日」に制定されており、国民全員が働いてはいけないことになっているのです。
しかし、当クリニックは、特別お休みすることもなく、通常通りの診療をいたしますので、ご心配なく。

 さて、いよいよ新緑の季節となりました。緑が鮮やかな木々の美しい時季となります。
 診療やお口のクリーニングにご来院されるには、絶好の頃合いです。
当クリニックでは、皆様のご健康を守るために研鑽を重ね、ご来院をお待ちしております。

佐藤 暢也

平成の大改修(内部配管編)

[2018年5月17日]

 診療所の運営は、まさに山あり谷あり、これまで幾多の難関を越えてきました。
さらに、今もビッグな試練を受けております。
 というのは、港町歯科クリニックは、間もなく30周年となり、いよいよ順調経営へと歩みを進めている、と喜んだのもつかの間、2月の下旬に排水管の清掃をしてもらっていたら、ある診療台との接続部で大破裂が起こったのです。

 そこで、今回は、先人に学ぶ。一休さんでいきましょう。
*一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧。どういう人かというと、足利義満と一休の問答が有名。

 「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と義満が訴えたところ、一休は、「では捕まえますから虎を屏風絵から出してください」と切り返し、義満を感服させたのでした。
 そんな頓知の効いた彼ですが、悟りの言葉が次のようにあります。
「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と詠んだ。
有漏路の「漏」は煩悩の意味。つまり「人生は(煩悩溢れる)この世から、来世までのほんの一休みの出来事。雨が降ろうが風が吹こうが大したことない」という。

 さらに、一休は他界する直前、「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、この手紙を開けなさい」と弟子たちに1通の手紙を残した。
 果たして数年後、一休の弟子たちに今こそ師の知恵が必要という重大な局面が訪れた。固唾を呑んで開封した彼らの目に映ったのは、次の言葉だった。

「大丈夫。心配するな、何とかなる」

 豁然!そう、何とかなる。
悪臭がクリニック内を包み込み、ご来院した皆様に大変なご迷惑をおかけしました。
 現在、診療台1台を廃棄、エリアを閉鎖して、床や天井を剥がし、排水管をくまなく調査し、高圧洗浄を終え、いよいよ万全の状態に再建すべく、奮闘中です。
 これから数度の工事をするため、30年目の大改修となります。
 皆様にご不便をおかけいたしますが、何卒、ご理解の程を、お願い申し上げます。

2018年「祝」開院30周年

佐藤 暢也

[2018年4月16日]

 いよいよ新年度を迎えました。
 そこで、久しぶりに、当クリニックの歴史を振り返って、皆様にお知らせいたします。

 港町歯科クリニックは、医療法人東京堂の診療所です。
 東京堂は、秋田県南部の田舎の町(現横手市雄物川町)から始まりました。1951年(昭和26年)のことでした。 初代の佐藤達夫(父)が日本大学歯学部を卒業し、当地で開業した折りに、祖父が東京堂と命名したのです。
 東京の大学に進学し、苦学をした経歴を持つ学識者であった祖父は、東京という地への憧憬の想いを込めて、東京堂という名を冠したのでした。
かくして東京堂佐藤歯科医院が誕生し、その後、東京堂は、屋号(会社名)として地域で知れ渡るようになったのです。

 のち1960年(昭和35年)に、隣町(現横手市大森町)に移転。
 当時、歯科医師は著しく不足しており、患者さんは、待合室からあふれ出てしまうほどの時代でありました。
 父が、連日徹夜して、歯科技工の仕事をしており、二代目となる私(暢也)は、その父の後ろ姿を見て、歯科に志を立て、北海道大学歯学部に入学し、1985年(昭和60年)に卒業。
 その後、現地(秋田市土崎港)で、港町歯科クリニックを開業したのが、30年前の1988年(昭和63年)6月でした。

 1998年(平成 10年)に達夫は他界し、1999年(平成11年)5月に医療法人を創設する際、その由緒ある屋号を引き継ぎ、医療法人の名称を東京堂としました。
 2003年(平成15年)に大森町の佐藤歯科医院は、およそ半世紀以上に及ぶ地域医療への貢献を終え、住民に惜しまれつつ閉院。
 医療活動の軸足を秋田市に移し、2018年(平成30年)、東京堂は、創業以来67年を迎え、さらに、港町歯科クリニックは、順調に成長し、6月になると当地で開院30周年を迎えることになるのです。
 これも、ひとえに当クリニックを受診していただいた皆様のご支援のおかげです。
感謝感謝!

 ようやく秋田も春光うららかな季節を迎えました。 こちらでも、間もなく、桜の便りも聞こえてくることでしょう。
 開院30周年という節目を迎え、当クリニックは、気持ちを引き締めて、皆様のご健康を守るために研鑽を重ねてまいります。
 ご来院をお待ちしております。

秋田人の密かな愉しみ?

佐藤 暢也

[2018年3月17日]

 いつも、エンディングで流れるのは…

あの人の姿 懐かしい、
黄昏(たそがれ)の 河原町、恋は 恋は 弱い女を、
どうして 泣かせるの、
苦しめないで ああ責めないで、別れのつらさ 知りながら、あの人の言葉 想い出す、
夕焼の高瀬川〜 …

 歌詞だけでわかるはずがないですね。これは、NHK BSプレミアムで不定期放送された番組で『京都人の密かな愉しみ(きょうとじんのひそかなたのしみ )』のテーマソング「京都慕情」です。
 歌は武田カオリさん。このバージョンは、とても現代風でいい感じです。

 メインドラマは、京都の大学教授と老舗和菓子屋の女将が主体となって進みます。それに、いくつかの独立したストーリーを並べて、全体で一つの番組となるオムニバス形式のパート、さらに、現実の職人や料理人、住民の紹介や各種の情報を交えたドキュメンタリーのパートもあり、目が離せませんでした。
 2015年(平成27年)1月にザ・プレミアムの枠で放送が始まりました。
 同年8月に『京都人の密かな愉しみ 夏』、その後、不定期に続編が放送され、2017年5月放送の「桜散る」編で最終回でした。

 今年に入って、そのシーズン〈2〉、「京都人の密かな愉しみ Blue 修業中」が放送されました。
主役はガラッと変わり、一人前の職人になることを目指す若者5人の物語。
 京都の8月、五山の送り火の情景の中に、それぞれの夏の物語が描かれていました。
涙あり、笑いあり。ドキュメンタリーとドラマを行ったりきたりしながら、イチゲンさんでは知りえない京都の奥深い世界へ、誘(いざな)ってくれたのでした。
シーズン〈1〉の再放送も2月にありました。私にとっては、大好きな番組なので、放送日のチェックに余念がありません。

 さて、それでは、「秋田人の密かな愉しみ」とは、何でしょうか?

「秘密のケンミンSHOW」によると、秋田味噌ちゃんぽんが紹介されていましたが、そんなにポピュラーな食べ物になっていたのか!
これからの時期は、山菜なんかどうでしょう。他にも、最近は、地方再生ということで田舎の民家や町も注目を集めてきました。
 秋田なりの、または、皆様なりの「密かな愉しみ」があってもいいですよね。

 2018年の冬もいよいよ終わりを告げる頃となりました。
 なかなか外に出られずに隠(こも)っていた皆様も、どうぞ久々に歯石除去等のクリーニングにお越しください。一同お待ちしております。